尖閣研究 尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告- 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査 2017年 -あとがき今回、日本財団様の研究助成の最終報告とのこともあり、この機に、一部内容を変更しまし た。Ⅰ章とⅡ章は、本調査のメインテーマである尖閣諸島海域の漁業についてです。 Ⅰ章は、漁業関係者からの聞き取り4編と寄稿論文1編から成っています。 Ⅱ章は、尖閣諸島で操業された漁業・漁法について図版・写真をとりまとめました。 Ⅲ章は、尖閣諸島の学術調査関連、Ⅳ章は尖閣諸島開拓時代と古賀村跡に関連し、従前とは異なった 内容になっています。 今回、Ⅲ、Ⅳ章がこのように変更なったのは以下の理由です。 私共編纂会が漁業関係者の皆様から聞き取り調査を始めてから、10年の歳月が経過しています。その間、 多くの漁師の皆さんが亡くなられています。今では、尖閣諸島で漁業をなされた貴重な語り部は、 僅かとなり、年追うて消えつつあります。 他方、尖閣諸島の学術調査に従事された方々も劣らず厳しい状況にあります。 1950年高良鉄夫先生が戦後初の尖閣調査をされ、総合学術調査団も組織され、調査活動も活発に為されてき ましたが、1995年を最後に、尖閣諸島学術調査は途絶えています。 高良先生は、1952年に琉大学生3人、53年に同11人、計14人を、尖閣諸島に連れて行きました。その半世紀後 の2006年に、尖閣調査の思い出を語る高良先生との集いが持たれ、当時参加した14名のうち11名(1名病没 、2名連絡不能)が一堂に参集し、思い出話に興じました。 2018年の今日では、高良先生もお亡くなり、11名の教え子たちも高齢となり、往時の尖閣調査を語れる人は 数えるのみとなっています。 歳月人を待たず、他の調査メンバーも同様です。 わが国は、地元沖縄県は、尖閣諸島の学術調査を連綿と行ってきました。 これは、尖閣海域での漁業に劣らず、わが国の実効支配を証左する重要な歴史的事実です。 ところが、1995年以降、学術調査は全く為されておらず、このまま放置すれば、これらの事実は 滅却されかねません。 戦後1950年~95年の間、尖閣に学術調査に行かれたメンバーは、数えてみるに、100名にも満たず、加えて、 存命な方は少なく、漁業者より、深刻な状況で、一刻の猶予もありません。 調査された方々がお元気なうちに、学術調査に対する再認識・再評価が必要です。 このため、新納義馬会長(93)と上運天賢盛氏(87)に、急遽、調査体験記の執筆、併せて対談をお願いし、 Ⅲ章は、新納会長の学術調査講演とお二方の体験記及び対談を掲載しました。また、Ⅳ章は、たまたま、 会長が学術調査の際、久場島の屋敷跡から担いできた壺焼甕のことから端を発し、古賀村跡の遺跡調査に 発展したお話をまとめました。 編集部も、会長の話に鼓舞され、ならば、魚釣島、南小島の古賀村跡に対する再認識、加えて遺跡調査も 必要だということで、これまた、急ぎ、原稿をとりまとめてみた次第です。 ただ、充分な検証、論証なしで書き綴ったため、稚拙の感は免れません、ご容赦下さい。 日本財団様には、これまで大変お世話になりました。 2009年度の第1回、2012年度の第2回、2014年度の第3回、今回2017年度の 第4回。9年間余りに亘るご協力で、漁業関係者百名余名(延人数)から聞き取り調査を 実施できました。今回、学術調査関係も2名加えることができました。 お蔭様で、尖閣諸島海域の漁業と学術調査についての貴重な内容を収録することが でき、後世に正しく伝えることができます。 ほんとに有難うございました。心からお礼を申し上げます。 (了)
2、寄稿:1972年日本復帰後の 尖閣めぐる沖縄県の動き・・・106
Ⅱ章 写真・図版に見る漁法・漁業 1、日本各地から・・・・・・・・・・・・・・149 2、カツオ漁及びカツオ節製造・・・・・・・・161 3、深海一本釣・・・・・・・・・・・・・・・187 4、底延縄・・・・・・・・・・・・・・・・・215 5、曳き縄・・・・・・・・・・・・・・・・・225 6、マグロ延縄・・・・・・・・・・・・・・・235 Ⅲ章 尖閣諸島の学術調査と体験記 1、講演:尖閣諸島の学術調査と自然・・・・・253
2、学術調査体験記及び対談・・・・・・・・・288
Ⅳ章 尖閣諸島古賀村の昔と今・・・・・・・・・・・・349
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