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尖閣研究 尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告

  - 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査 2014年 - 


 書  評 
平成28年(2016年) 3月26日

  「中国船、昔は来なかった」 この海で生きてきた漁師30人の証言
   「伝統的漁場」という中国の主張は事実無根だ

 戦前戦後の尖閣諸島(沖縄県石垣市)海域の漁業を調査してきた沖縄県の民間研究グループによる報告書 「尖閣研究」(尖閣諸島文献資料編纂会)がこのほど第3巻を発刊し全巻を完結させた。第3巻は 「海人(ウミンチュー)」と呼ばれ、尖閣の海で生きてきた漁師30人の人生の「語り」を収録したほか、 これまで不明だった尖閣のサンゴ漁や周辺海域の“電灯潜り”の実態なども調査した。 約7年にわたった 全巻刊行を通じ、尖閣の漁業の全貌が文献、フィールドワークの両面からの調査報告として結実した。 (久保田るり子)

 魚の宝庫~尖閣の海
 那覇市の海人、我那覇生太郎さん(81)=調査当時=は祖父の代からの漁家だ。父からは戦前、「船団を組 んで尖閣で漁をした」と聞き、7歳頃から浜で舟揚げを手伝って育った。父が南方で戦死。生太郎さんは陸 (おか)で働いて家計を助けたが、叔父らが「海ワザさせんといかん」と漁師に。飯炊きから鍛えられ尖閣の 海に。冬はアカマチ(ハマダイ)の一本釣り、夏はマグロ船に乗った。55年間を海で生きてきた。

 「尖閣に行けば一航海で2トン、3トン位獲れた」-宮古島を基地に航海は5日から12日。尖閣周辺は潮が 速く荒れるから、若い頃は「名船長のシリについて行った」。中国船が現われる前、台湾船はしょっちゅう来て 領海に入ったり出たり。ケンカや口論は日常茶飯事で向こうはバナナや酒を差しだした、とも。
 石垣真次郎さん(79)=同=は昭和40年代から約20年間、尖閣の海で操業した。当初は底延縄、 その後は一本釣り。当時5年間、水揚げ1番だったときの底延縄、浮き延縄を図入りで詳しく語った。

 儀間真松さん(82)=同=は中国公船が我が者顔で往来する状況をこう憂える。「中国船、昔はこなかった。 もう一本釣りは怖くて行けないと言ってます。反対に日本船が中国領でやったら、(彼らは日本船を)ぶっ捕 まえて船も没収してそのまま中国に連れて行きますよ。中国船が来るのは、捕まえてもどうせ返すはずだからと、 日本を軽くみているからだ」。この聞き取り当時、宮古島近海は中国のサンゴ船が集まっていた。

 近年、尖閣周辺の漁業は急激に減っている。乱獲で魚量が減少したこともあり燃料代との見合いから大型船が 行かなくなった。さらに漁師の高齢化問題が背景にあるという。

 日本初の本格的な尖閣諸島の漁業研究
 2010年8月に刊行された「尖閣研究」の第1巻は戦前からの沖縄復帰(1972年)までの尖閣海域の 漁業を辿った内容だった。発刊の2カ月後、中国外務省は「尖閣諸島海域は“中国漁民の伝統的猟場”である」 との声明を出し、反発した。

 この中国の主張が事実無根なのは自明だ。沖縄の漁師たちは中国漁船が入ってきたのが1980年以降で あることを実際に見て知っている。だが、実は尖閣周辺の日本の漁業についての歴史的研究は「尖閣研究」 第1巻が出るまで、政府レベルも民間レベルも全くなかった。そのため関連の文献、資料が散逸したま まだった。

 戦後の尖閣諸島の民間研究は高良鉄夫・元琉球大総長(故人)が知られる。高良氏は1950年~68年、 5回にわたって尖閣に上陸し、その生態系を学術調査し発表した。晩年の高良氏は本書の民間研究者グループ 「尖閣諸島文献資料編纂会」の顧問を務め、編纂会は高良氏の調査をまとめ、「尖閣研究高良学術調査団資料集」 (2007年)として刊行。この活動の延長が知られざる海の研究「尖閣研究」なのだ。資金集めには苦労したが 、日本財団の研究助成が支援、3回に渡る助成を行って全3巻の調査が実現した。

 サンゴ漁、電灯潜り
 尖閣の海が魚の宝庫なのはサンゴが多いためともいわれる。魚はサンゴを食べ、ねぐらとし、産卵もする。サン ゴは南の豊かな海に欠かせない。それを破壊したのが、中台のサンゴ密漁だ。

 中国漁船のサンゴ密漁は小笠原諸島(2014年)より沖縄近海(2012~13年)が先だ。宮古島の漁師、 長嶺巌さん(65)=同=は2012年、一本釣りの4・3トンの船で宮古島沖で100トンクラスのサンゴ密 漁、中国船の一団に遭遇した。その数約50隻で堂々と網を入れ、サンゴを採っていた。

 あまりの多さに「何をされるか分からん」と逃げ帰った。「異変はその二、三年前から起きていて中国船が来 ていた。サンゴは採り尽くされた」

 その後、水産庁が資源調査を行ったが、宝石サンゴの生育には10年以上かかる。サンゴの生育地はハマダ イなどの産卵場所で一本釣りの好漁場だが、中国船に荒らされた海が元に戻るには時間がかかる。

 電灯潜りは主に夜間、眠っている魚を狙って左に電灯、右にモリを持ち素潜りやボンベを背負って突く漁だ 。もちろん昼間も潜る。

 1970年代から80年代が尖閣の電灯潜りの全盛時代だった。宜野湾漁協の志村武尚さん(70)=同=は 10代から電灯潜りに専業した。尖閣はブダイ漁だ。他の漁法と異なり電灯潜りは装備が少なく、経費もかから ず効率がいいという。当時はダイバー5人前後で1航海平均5日間、毎回の水揚げ3~4トンの大漁だったという。 真っ暗の海中、電灯をかざして魚を探し、突く。

 血抜きした血のにおいでサメがダイバーを追いかけ回すが、「人は襲わない」と志村さん。海底の格闘ぶりを つぶさに語った。尖閣の電灯潜りは燃料代高騰などですでに絶えているが、沖縄近海では現在も電灯潜りが行わ れている。

 やがて、中国のマグロ船が来る!
 中台の船を日々、警戒している沖縄の漁師たちは、「中国漁船の今後の動向は怖い」と訴えている。八重山 諸島近海はマグロ漁の漁場だが、ここでは近年、世界有数のマグロ消費国になった台湾船と沖縄の船が争奪戦 を繰り広げている。沖縄船20隻に台湾船300~400隻。日台漁業協定はあるが、トラブルは絶えないという。 また最近の台湾船に乗っているのは中国人船員で、将来、この漁場に中国の大型マグロ延縄船が出てくると予想 されている。日本は資源保護からクロマグロの禁漁期を検討しているが、「いくら沖縄の漁師が我慢して魚を育 てても外国の漁師が釣って行けば意味ない。我々にとっては死活問題です」と危機感を募らせている。

 防人のように荒海に生きてきた海人の証言を元にした本書は、尖閣諸島という特異な日本の領土領海の学術 的調査に止まらず、国防、環境問題など未来に向けた多くの問題も提示しており、調査は貴重な成果となった。

■■■ 《問い合わせ先》尖閣諸島文献資料編纂会 〒902-0068 沖縄県那覇市大道40番地
FAX098-884-1958 「尖閣研究」全3巻はハードケース入りで6000円。