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 尖閣研究 尖閣諸島海域の
         漁業に関する調査報告

― 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査 2012年 -

 発刊のあいさつ
 尖閣諸島海域は魚族が豊富な好漁場として、戦前、戦後は早い時期から利用されてきた。沖縄各地の出漁した漁船、 県外船、台湾船も入り混じって操業し、賑わいを見せていたという。
 私は1952年琉球大学4年の時に、高良鉄夫先生に連れられて、尖閣諸島での野外実習・生物調査に参加した。  高良先生と宮城元助先生の教官2名と私ら学生11名である。
南・北小島に上陸したら、海鳥の大群に驚かされた。天空は乱舞する海鳥で陽は俄かにかき曇る、それほど夥しい 数だった。しかも糞弾の雨は降るし、油断すれば鳥糞だらけになる。この異様な臭いで息苦しく、上陸するのも一 苦労だった。
 上陸して見たら、さらなる光景に驚かされた。何と視界一面、ヒナ、ヒナではないか。島全体が無数のヒナで埋め 尽くされていた。親鳥たちは、エサの魚をせっせと運び、ヒナたちに食べさせている。子育ての最中だった。
 尖閣諸島はまさに「海鳥の楽園」だったのである。
 高良先生は、北小島だけで「群れなす海鳥一千万羽」(琉球新報 1953.8.16)と報告している。ならば、尖閣諸島 全体では、無数の海鳥が生息していることになる。
 この海鳥が食べる魚は量り知れない。ヒナばかりでない、親鳥も食べる。
 ヒナが食べるエサの魚だけでも、莫大な量になったであろう。

 尖閣諸島が「海鳥の楽園」であることを可能にしたのは、同海域が、魚族が豊富、豊かな漁場だったからではないか。 当時出漁された漁師の方は、「尖閣へは魚を釣りに行くのではなく、魚を積みに行った」今では想像できない、 とても豊かな漁場だったと、今回の聞き取りで語っている。
 私はそのあと1963年、71年、79年、80年、82年と5回に亘り、調査で渡島する機会を得た。行く度に、あれほどいた 海鳥の群れは段々少なくなっていた。
 現在はどうだろうか、時折、テレビで島の様子が放映されるが、海鳥の姿はあまり観ることはない。飛び交う姿が 映っていても疎らの様である。
 漁師の方も、「以前は、海鳥は大分多かった。縄入れる時、エサ食おうとあっちこっちから飛んで来て邪魔するから、 竿で追い払ってやっていたが、今はあまり見えない、魚も減っている」旨を、この聞き取りで語っている。
 私ら一般人には、海鳥の消長が漁業資源の消長に関係するのでは、頭で理解しているだけであるが、漁師の皆さん には、日々の仕事で実感する深刻な問題であり、解決を迫られる大きな課題である。
 尖閣諸島海域で、昔ほど魚が獲れなくなった要因として、乱獲によるとか、潮の流れが変ったのではとか、はたまた 地球温暖化によるとか、諸説紛々している。
 これも漁師の皆さんへの聞き取り調査、本報告書を読んで頂ければと思う。
 本調査は、尖閣諸島に出漁された沖縄県の漁業者に対する聞き取り調査である。
 周知のように、尖閣諸島海域の漁業に関する資料が少なく、同島海域における漁業の実態、その全容は詳らかでない。 しかも海域へ出漁する漁船は、現在は僅かである。
 かつては尖閣諸島海域へ多くの漁船が出漁し、様々な漁業が営まれてきた。深海一本釣りのマチ漁から、カツオ釣り、 突き船でのカジキ獲り、果ては追込みによるダツ漁、等々である。その中には、ダツ追込みや突き船でのカジキ突き とか、今は漁法が絶えたものもある。また深海一本釣にしても、イシマチャー(石巻落し漁)からヤマギタ方式を経て、 現在の一本釣型になったという。これも今回の調査で明らかになった。

 尖閣諸島海域で、往時漁業に携わった漁師の皆さんは大半が高齢となっている。
 彼らが元気なうちに、貴重な体験を正しく記録しておかねばならない。これを逸すると、尖閣諸島海域での漁業 の実態、その事実は永久に消え失せてしまう。
 このような理由もあって、今回の漁業者に対する聞き取り調査は実施された。
 諸般の理由から、聞き取りが一部の地域や漁業者に止まり、十分な内容ではない。
ともあれ、私共編纂会にとって、本聞き取り調査が、尖閣諸島海域の漁業を知るうえで、些かでも役立つので あれば幸甚である。
 これを契機に、全体を網羅したさらなる聞き取り調査が実施されることを願う。

・・・  略 ・・・


 今回の調査は、「聞き取り編」である。この調査の意義と重要さを認識し、この度も研究助成して下さった 日本財団には、厚くお礼を申し上げたい。
          ・・・  略 ・・・

本報告書の聞き取りに際しては、快くインタビューに応じて下さった漁師の皆さんはじめ、多くの漁業関係者 の方々にお世話頂いた。この場を借りて厚くお礼を申し上げます。

                             2013年(平成25年) 9月30日
                              尖閣諸島文献資料編纂会
                               会長  新納 義馬 




尖閣研究 尖閣諸島海域の
          漁業に関する調査報告

― 沖縄県の漁業関係者に対する聞き取り調査 2012年

           目 次

 発刊のあいさつ 
   尖閣諸島とは
Ⅰ 尖閣諸島の漁業概要・・・・・・・・・・・・・・・・7
Ⅱ 聞取り編・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
    1章 沖縄本島地区

     1-1 那覇地区漁協・・・・・・・・・・・・・・・・・19
 1.國吉 真一  深海一本釣
 2.安仁屋宗栄 深海一本釣
 3.与那嶺三郎 深海一本釣 底立延縄
 4.渡慶次次郎  底立延縄
 5.外間 安健  深海一本釣、底立延縄
 6.高江州 昇  深海一本釣 
 7.渡嘉敷真厚  深海一本釣
 8.我那覇生康・澄子 深海一本釣他

       (追補 鹿児島県喜入町漁協)
 1.宮崎卓己 深海一本釣

     1-2 サバ漁業関係者・・・・・・・・・・・・・105
 1.嵩原忠太郎 サバ跳ね釣(池間漁協)
 2.金城 清信 サバ棒受け網(糸満漁協)
 3.仲松 弥盛 サバ漁業経営(琉球水産社)
 4.下里 郁夫 サバ棒受け網 ( 〃 )
 5.仲間 清昌   〃    ( 〃 )
     1-3 糸満漁協、与那原・西原漁協・・・・・・・・・・131
        糸 満 漁 協
   1.金城 亀吉 ダツ追込他
2.金城 清信 ダツ追込
3.松川 国夫 深海一本釣、曳き縄
4.上原常太郎 底立延縄
        与那原.西原漁協
     1.當眞 正清 清徳丸事件、曳き縄

    2章 宮古島地区
     2-1 池間漁協、伊良部漁協、宮古島漁協・・・・181
        池間漁協
   1.西里  勇 曳き縄、深海一本釣他
    2.長嶺 宗治 曳き縄、 深海一本釣
 3.与那原 勉 曳き縄、深海一本釣他

        伊良部漁協
   1.長崎  毅・勝子 曳き縄他
   2.川満  稔  突ん棒、曳き縄他
   3.仲間 恵義  深海一本釣他
   4.國吉 守夫  深海一本釣
   5.仲地 行雄  カツオ漁
   6.漢那 一浩  シマガツオ漁


        宮古島漁協
 
   1.友利 哲夫 曳き縄、深海一本釣他 


     2-2 魚釣島・南小島でのカツオ節製造・・・・・・・251
 1.与那嶺正雄 カツオ漁、節製造
 2.仲地 行雄 カツオ節製造
 3.奥原 隆治 カツオ漁、節製造
 4.渡真利 浩 カツオ節製造

 
    3章 八重山地区
     3A 1枚の写真から半世紀前へ・・・・・・・・・・・273
 仲田吉宏、山城満吉 並里長信

     3B 見たり、聞いたり
 八重山の漁業者の中の尖閣諸島・・・・・311
 西里政晃、比嘉幸信、神村松男 他16名

     3C 尖閣諸島と台湾、尖閣諸島と与那国・・・・・・380
 長濱一男、賀数金次郎、比嘉松竹

     3D 南海商会の思い出・・・・・・・・・・・・・・394
   正木 譲、大盛清子


    4章 漁場保全、領海警備
     不法入域防止「警告板」設置・・・・・・・・・・・・401
     救命艇「ちとせ」警備関係・・・・・・・・・・・・419
   比嘉 健次 「警告板」設置 (琉球出入管理庁)
 吉浜 貞一 「ちとせ」警備 (琉球警察本部)

あとがき



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