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     尖閣研究 高良学術調査団資料集(上) 


  発刊の辞

 この資料集は、幾つかのきっかけから生まれた。
 昨今の尖閣領土問題は、一段と厳しさを増して、かまびすしい。
 魚釣島と黄尾島にある明治期の古賀開拓村の写真を見ると、ヘンポンと日の丸がひるが えっている。大手週刊誌記者がその事実を知り、日本領土の紛れない証拠になるとばかり に件の写真を探していた。問い合わせの電話を受けたときに、些か勉強不足ではないかと 苦言を呈した。常に尖閣問題で引き合いに出されるのが島の開拓者古賀辰四郎と古賀村の 件である。これは無論、重要な事実である。
 他方、地元沖縄側は、終戦直後からいち早く、尖閣の学術調査に乗りだしていた。
 琉球大学を主体に綿々と調査研究を行い、大きな実積を積み上げていた。今日の尖閣 研究はこれら総合的組織的学術調査の成果に負うところが大きい。ところが、この事実は 殆ど知られていない、全国的認識不足だった。
 この調査は「尖閣調査のパイオニア」高良鉄夫博士によって切り開かれた。
 1950 年4月、今を去る57 年前のことである。終戦直後の呑まず食わずの厳しい時代に、 単独で調査(第一次予備調査)を敢行した。高良博士の先見性と行動力には驚かされる。 翌々年の52 年4月、第二次調査には資源の専門家を引き連れて行った。
 53 年8月、第三次は学生11 名を参加させた調査だった。この3回にわたる調査をなし 遂げるには並々ならぬ苦労があった。とりわけ、第三次調査は沖縄経済人の協力で実現で きたものともいえた。
 63 年4月、琉球政府文化財保護委員会から委託をうけて、アホウドリ調査を行った。
 これが第四次調査である。
 68 年には沖縄懇高岡大輔氏を案内して第五次調査(鉱物資源予備調査、海鳥調査等) を行った。これらは50、60 年代に実施された琉大調査の前半部にあたる。
 高良博士が主導した5回にわたる調査を「高良尖閣学術調査団」と称してもよい。
 高良調査団に参加したメンバーは延べ40 名余に上っている。
 高良博士は93 歳(2005 年当時)の高齢であるが、今なお矍鑠としておられる。
 沖縄生物学会や農業学会、沖リ協会長など要責を担い第一線で活躍されている。
 その高良博士、調査団メンバーに、直にインタビューして、4、50 年前の島のようす、 調査の経緯や内容に耳を傾けるべきである。これら事実を正しく把握し、全国に紹介すべ きでは、しかも自国の島だったから調査した。(他国領土なら調査しないし、できない)。
 これこそ確固たる実効支配ではないかと言った。驚いた記者は上司に相談したいとの返 答だった。彼らマスコミ人には、この地道な事実にスクープ的価値は存在しなかった。  なしのつぶてで終わったのは遺憾だった。
 70 年代から80 年代にかけて尖閣調査が目白押しに実施された。
 学術調査、資源調査、漁業調査、等々である。
 これらの出発点となったのが、高良学術調査団である。
 明治30 ~ 40 年代の黒岩恒氏や宮島幹之助氏、恒藤規隆博士、昭和10 年代の正木 任氏による優れた調査があったが、いずれも単発的、個別的調査の域を出なかった。
 戦後は、様相は一変した。
 各分野の専門家を網羅した組織的かつ総合的学術調査がスタートした。
それに尽力した高良調査団の功績は特筆すべきである。
 高良博士の果たした役割は大きく、尖閣学術調査の発展に大きく貢献している。
 それに比して、その調査経緯や内容は余り知られていない。
 加えて、参加者の殆どが高齢となっている。
 参加者や関係者(所轄機関や部署の担当者)で亡くなった人も少なくない。
 当時の調査資料、報告書も入手しがたい。
 72 年復帰に伴う組織変更で所在不明になった資料も少なくない。
 琉球農林省資源局、琉球政府、琉球警察局、琉球文化財保護委員会などの行政文書 がそれである。年を経るにつれて、ますます散逸が危ぶまれる。
 このようなことから資料集のとりまとめが急がれた。
 今回、見きり発車であったが、どうにか刊行することができた。
 これも高良博士が監修の労を引き受けて下さったからである。
 高良博士はもとより、新納義馬氏ら参加メンバーの絶大な協力に負うところが大きい。
 また、書棚や押入の隅、筐底をあさり、古いアルバムを剥がすなどして、当時の資料を探 しだし、快く提供してもらったのも少なくない。
 このお陰で以て、論文や報告書、写真、新聞記事など、貴重な資料が収録できた。
 この場を借りて、厚く感謝申し上げます。
 なお、所在不明の資料については、これからも発見に努め、追補していきたい。
 できるだけ、完璧な資料集を期していきたい。
 今後、尖閣領土問題は一段と厳しさを増してくるものと思われる。
 尖閣列島に関わる様々な事実については、正しい認識がますます必要となる。
 この資料集が、その一助になれば幸いである。                     2007 年(平成19 年)10 月1日
                     尖閣諸島文献資料編纂会

尖閣研究 高良学術調査団資料集(上)

  

目 次

 監修の挨拶………………………………… 高 良 鉄 夫 …………… 1
1.調査のあらまし …………………………………………………………… 3
2.調査関連新聞記事等 …………………………………………………… 11
3.調査報告書 ~各次毎個別篇~
 第一次調査(1950.4)報告書
  1.無人島探訪記……………………… 高 良 鐵 夫 ………………51
  2.尖角列島訪問記…………………… 高 良 鉄 夫 ………………61
 第二次調査(1952.5)報告書
  3.尖閣列島あれこれ………………… 高 良 鉄 夫 …………… 67
  4.尖閣列島採集記…………………… 多和田 真 淳 …………… 75
  5.尖閣列島調査報告………………… 松 元 昭 男 …………… 103
 第三次調査(1953.8)報告書
  6.尖閣列島の動物相について……… 高 良 鉄 夫 …………… 113
  7.尖閣列島の植物相について……… 多和田 真 淳 …………… 131
  8.尖閣列島生物調査に参加して………森 田 忠 義 …………… 149
 第四次調査(1963.5)報告書
  9.尖閣のアホウドリを探る……………… 高 良 鉄 夫 ………… 161
  10.尖閣列島の植生…………………… 新 納 義 馬 ……………171
  11.尖閣列島海洋調査報告…………… 伊志嶺 安 進 ………… 197
 第五次調査(1968.7)報告書
  12.尖閣列島周辺海域の学術調査に参加して…高 岡 大 輔 ……211
  13.尖閣列島の海鳥について………… 高 良 鉄 夫 …………… 221
  14.尖閣列島の水質…………………… 兼 島   清 …………… 235
  15.海洋学的に見た尖閣列島………… 伊志嶺安進・正木 譲 …… 241
4.座談会(上) ……………………………………………………………… 251
   第二次、三次調査に参加して
5.懐かしの思い出アルバム ………………………………………………  277
   尖閣実習調査、53、4 年ぶりの再会、懐かしの学舎
6.思い出追想記(上)~第二次、三次調査~
   調査追想4 題………………………… 高 良 鉄 夫 …………… 295
   尖閣の土性海鳥糞調査に参加して…… 棚 原 清 一  ………… 30
5    尖閣列島調査同行実習記………………上運天 賢 盛  ………… 311
   尖閣列島学生実習回顧録…………… 新 納 義 馬  …………… 317
   尖閣列島実習調査に参加して………… 瑞慶覧 長 方…………… 323
   尖閣の思い出雑感……………………… 泉 川   寛 …………… 329
   尖閣筺眼鏡(上)~第二次、三次調査~ …………………………… 335
     1.無人島アドベンチャーがビッグな体験に… 新 島 義 龍
     2.タクソディオクシロン・カニングハム・オイデス・ワタリを求めて
                          田 中 一 郎
     3.島中が海鳥とヤブ蚊でいっぱい ………   比 嘉 盛 幸
     4.絶海に神気漂う尖閣古葉島 ……………… 岡 田 潤 治
     5.甦る記憶の断片 …………………………… 大 屋 一 弘
     6.息も絶え絶えボートに飛び乗る …………… 東   清 二
     7.シュウダの首根っこを押さえた …………… 有 川 廣 良

  特別寄稿  父と鰹業、魚釣島仮工場、等々……………… 発 田 敏 彦 ………… 349
 海鳥を両手一杯持ち帰り、船で食した……… 東 江 重 夫 ……………353
 父の遺骨収集は、自分の船と手で…………… 伊良皆 高 吉………… 359
7.尖閣調査のパイオニア ……………………………………………………… 367
  ~高良鉄夫博士の業績とプロフィール~
8.高良尖閣学術調査団参加者一覧 ………………………………………… 377
 あとがき…

   調査余滴、調査異聞、閑話休題
 尖閣列島写真戦後第一号、波間に浮かぶ南小島 ………………… 46
 尖閣渡島の漁船チャーター、篠原教授の次兄へ頼み込み………… 101
 第二次調査が生んだ「八重山歴史 喜舎場永 著」出版の秘話…… 102
 沖縄の二大巨人岩崎翁の薫陶と黒岩校長の遺風を受ける………… 110
 尖閣付近で海賊に襲われ6名犠牲、多和田氏の警告現実に……… 147
 魚釣島にアホウドリ数万が集来、黒岩氏が報告 …………………… 170
 終戦直後の石垣島地震、伊志嶺氏、震源地黄尾島近海と推定…… 208
 尖閣初期調査は、経済人の支援で成し遂げられた ………………… 276
 出発の3 日後、琉球政府発足、調査は学問、行政の黎明期に …… 292
 尖閣の二大啓蒙書「自然との対話」と「鳥が魚を食った話」 ……… 366


     尖閣研究 高良学術調査団資料集(下)


 発刊の辞

 尖閣列島は東シナ海の黒潮回廊に位置する絶海の孤島である。
 明治30 年代に古賀辰四郎氏によって島々が開拓され、鳥剥製づくり、羽毛採 取鰹節製造事業が営まれ、盛時には、古賀開拓村は250 余名の島民が居住し殷 賑を極めていた。
 昭和初期には事業は衰退し、島はうち捨てられて旧来の無人島に帰した。
 高良鉄夫博士は古賀の無人島は無数のアホウドリや海鳥が乱舞し、天空は 陽を遮りかき曇ると語り継がれ、少年の頃から魅了されていた。
 1950 年4月、渡島の夢が叶い、魚釣島に上陸し、生物相調査(第一次調査) を行った。尖閣列島は「海鳥の楽園」「漁業資源の宝庫」が戦後の第一報とな った。
 島の自然と生物相、富源等の更なる調査の必要性を説き、第二次、三次学術 調査団を組織、尖閣3島の総合調査を成し遂げた。
 調査を重ねる度毎に新・亜種、固有種、希少種が相次いで発見され、生物地 理学的に重要な島であることが判明した。
 1951 年、東京都下の無人の島でアホウドリが発見された。
 地球上で絶滅したと思われていたアホウドリが伊豆諸島の鳥島に生息してい た。
 往昔は尖閣列島も、鳥島と並びアホウドリの一大繁殖地、もしも生息が確認 できれば、絶滅に瀕したアホウドリの救世の島となることができる。
 1963 年、高良博士は琉球文化財保護委員会の委嘱をうけアホウドリ調査(四 次調査)に赴いた。アホウドリは見つからず(公式には)、目にしたの海鳥の 乱獲だった。
 台湾漁船の領海侵犯、不法操漁は頻発、加えて不法に上陸し、海鳥の卵やヒ ナを乱獲していた。高良博士は「海鳥の楽園」は危機にあると保護を強く訴え、 上陸規制措置を提言した。琉球政府は遠隔地との理由で重い腰を上げない。
 1968 年初頭、国連のエカフェが東シナ海は石油資源が有望であると発表した。
 隣国中国と台湾は、石油資源欲しさに不当にも領有権を主張し、絶海の孤島 は波高くなった。同年8月には、高岡大輔氏を団長とする鉱物資源調査団(五 次調査)の先導役となり再び尖閣を訪れた。国境の島には台湾漁船が頻繁に領 海侵犯、不法操業はエスカレート、卵とヒナの度重なる乱獲で、「海鳥の楽園」 は衰亡寸前だった。
 高良博士はその惨状に驚き、再び海鳥の保護措置を提言する。
 琉球政府や米国民政府(USCAR)は、海底油田騒ぎの危機感もあって重 い腰をあげる。1969 年、石垣市が行政区画(領土)標柱を建立、1970 年8月 には、琉球米国民政府は琉球政府に働きかけて警告板を設置させた。
 高良調査団の海鳥保護策提言の一端はここに至って曲がりなりにも実を結ぶ。
 1970年3月~5月には九州大・長崎大合同探検隊や琉球大学学術調査団によっ てアホウドリ、クロアシアホウドリが発見された。
 今や尖閣は「海鳥の楽園」「漁業資源の宝庫」と並び「石油の島」「国境の島」  「アホウドリの島」となった。そこには国際保護鳥、国の重要天然記念物アホウ ドリの他に貴重な動植物―固有種、絶滅危惧種、希少種が多くある。ところが、 昨今の魚釣島には野生化したヤギが大繁殖し、植物を片っ端から食い荒している。 生態系は大打撃をうけて、島の自然は崩壊寸前に陥り、貴重な生物種は絶滅の危 機に曝されている。
50 年~ 60 年代、五次にわたる高良調査団は20 数編の報告書(論文等含む)が ある。これらは各次毎個別篇と集大成・発展篇の報告書に大別される。
上巻には各次毎の18 編の調査報告書、下巻には70 年代に著された3編の集大成 ・発展篇を収録した。また、一~三次調査の座談会、調査の思い出等は上巻に、 四~五次調査のそれは下巻に掲載した。
高良調査団は総合的観点から調査を行い、そこから派生、発展した問題は多岐に亘 っており、下巻を集大成・発展篇と位置づけた所以はここにある。
 「海鳥の楽園」と並び「漁業資源の宝庫」は重要な指摘である。
地元八重山紙は、第二次調査に際し「尖閣列島へ調査団、日本漁船は既に基地化 、調査から施策へスピード要す」(1952.8)と時事短評し、沖縄側の立ち後れに 苛立ち、調査団への期待を伺わせている。尖閣列島の漁業資源は極めて重要な問 題であるが、今回は紙幅の都合で割愛せざるを得なかった。
 下巻では、以下の3点を特集した。
  1.特集 アホウドリ(Ⅰ.アホウドリを求めて Ⅱ.アホウドリは居た)   2.特集 尖閣の自然(Ⅰ.特異な生物相 Ⅱ.絶滅の危機に)
  3.行政資料(不法入域関連、行政標柱建立、警告板設置関連)
 いずれも、これら3点には高良調査団以後の成果も採り入れてある。
 なお、当資料集に収録した報告書や資料の大半が復帰前に関わるものである。
 従って、散逸したものも少なくない。
 この高良学術調査団資料集は、不完全であることを承知で刊行した。
 何卒、読者諸賢の寛恕を乞う次第である。
 この発刊を機に、関連資料を探しだし、これから追補していきたい。
 できるだけ、完璧な資料集に期していきたい所存である。


2007 年(平成19 年)10 月1日
尖閣諸島文献資料編纂会


尖閣研究 高良学術調査団資料集(下)


 目 次

  発刊の意義を讃えて ………………………… 新 納 義 馬 …………… 1
1.調査報告書 ~集大成・発展篇~
   16.自然との対話 無人島は生きている…… 高 良 鐵 夫 …………… 6
   17.沖縄道しるべの島々─尖閣列島の歴史、風物と自然と
                       多和田 真 淳 ………… 69
   18.尖閣列島一帯の学術調査について…… 高 岡 大 輔…………… 89

2.特集 尖閣の自然
 Ⅰ.特異な生物相
   1.特異な位置と生物相………………………………………………… 115
   2.珍重・愛育されている尖閣の植物…………………………………… 125
 Ⅱ.絶滅の危機に
  1.上陸禁止措置でヤギが大繁殖 ………………………………………137
  2.一日も早いヤギの排除を …………………………………………… 141
  尖閣列島の植物とヤギの食害 …………… 新 納 義 馬 ………… 147
  付表 絶滅のおそれのある尖閣の主な植物・動物 …………………… 163

3.特集 アホウドリ
 Ⅰ.アホウドリを求めて
  亡びゆくアホウドリ…………………………… 高 良 鉄 夫………… 175
  無人島は生きている…同行記者レポート(1)…田積友吉郎・森口 豁…189
  アホウドリを求めて…同行記者レポート(2)… 粟 国 安 夫………… 203
 Ⅱ.アホウドリは居た
   1.絶滅したはずのアホウドリは居た ………………………………… 213
   2.南・北小島でアホウドリを見た……………………………………… 219
   3.南・北小島でアホウドリ繁殖………………………………………… 226
   尖閣諸島におけるアホウドリの歴史と繁殖現状… 長谷川   博…… 229
   北小島の洋上に居たアホウドリ(1953 年8 月)… 森 田 忠 義 … 233
   アホウドリ王国復活に寄せて……………… 高 良 鉄 夫 ………… 237
  付表 尖閣列島のアホウドリ関連略史(戦…後篇) …………………… 243

4.行政資料
  1.台湾人不法入域関連…………………………………………………… 251
  2.行政区画標柱建立……………………………………………………… 261
  3.不法上陸警告板設置関連……………………………………………… 269
  特別寄稿 警告板設置の思い出 …………… 比 嘉 健 次……………283

5.参考資料 仲御神島の海洋鳥調査(1965)
  仲御神踏査記…八重山毎日新聞ルポ …………石 垣 英 武………… 293
  随想 仲御神島の海洋鳥探訪 ………………… 正 木   譲………… 303
  仲御神島の海洋鳥調査光景 ─正木氏の「資料アルバム」から─ ……… 306

6.座談会(下)…………………………………………………… 315
  第四次、五次調査を顧みて
7.思い出追想記(下)~第四次、五次調査~
尖閣東シナ海調査追想5 題 ………………… 伊志嶺 安 進 ……… 331
  尖閣の思い出 ~海鳥たちへの追想~………… 赤 嶺 得 信 ……… 337
  尖閣列島鉱物資源予備調査に参加して ……… 大 城 盛 俊 ……… 343
  尖閣列島警護同行記 ………………………… 平 良 繁 治 ……… 349
  思い出つれづれ記 ……………………………… 正 木   譲 ……… 355
  尖閣筺眼鏡(下)~第四次、五次調査~ ……………………………………361
    1.オフレコで調査を続行…………………… 粟 国 安 夫
    2.冷や汗百斗の“幻の大スクープ”………… 森 口   豁
    3.恐怖し驚きの連続だった!!…………… 照 屋 林 松
    4.カジは反対に切り、波に突っこめ!!……豊見山 恵 盛
    5.米海軍艦船は作戦下でしか動かせない…新 城 鐵太郎
    6.「海鳥の卵はピータンの原料」に驚愕……伊良波 幸 勇
    7.ボーリングの地下水ならば、好結果が期待できたかも?!
                        兼 島   清
    8.高良調査団並びに尖閣列島に関連した主なできごと
                    (1945 ~ 1971)…………… 379
あとがき

    調査異聞、閑話休題
  幻に終わった鹿大・琉大尖閣列島共同学術調査……………………… 109
  開学時から全学的バックアップ、3 大学長が尖閣調査に尽力………… 110
  わざわざ上陸調査承諾書を求める、致命的悪弊の一因に …………… 102
  かつてはヤギと人間が共生、魚釣島に伝わる事実物語 ……………… 162
  アホウドリは石垣、与那国島にも生息していた ………………………… 188
  琉球郵政庁、復帰直前「アホウドリ切手」発行 ………………………… 246
  若者たちの「荒らされる海鳥の王国」報告が世論喚起………………… 302
  高岡氏、超過密スケジュールでの尖閣調査、先見的提言はウヤムヤ… 377



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